喘息奮闘記

皆様こんにちは、閲覧ありがとうございます。

僕は中等症持続型と重症持続型を繰り返す

慢性呼吸器疾患(気管支喘息)を患っています。

 

ここからは、僕の過去から現在にかけて綴っていきたいと思います。

母、父それぞれが喘息持ちで

もちろん僕も喘息持ちとして生まれました。(姉も喘息持ちです)

幼少期から運動は禁止、ストレスを感じるとすぐ発作を繰り返していました。

父に、週に一度スイミングへ連れて行ってもらい

症状があまり出なくなりました。

 

小学校に入って、そのまま症状はあまり出ず

出てもすぐ良くなる状態でした。

 

中学に入り、恋愛沙汰に巻き込まれ

ストレスを感じ喘息の発作が起きました。

 

それからは毎日苦しくて大変でした。

勉強のストレス、人間関係のストレス、教室の汚さで

僕の気管支は悲鳴を上げて、一時入院。

長期管理薬は毎日吸入していましたが、

僕のメンタルの方が弱かったので倒れてしまいました。

 

発作治療薬もありましたが、苦しくて苦しくて耐えられなくて

横になると息が全くできず、ずっと座って呼吸を頑張っていました。

 

1週間程入院して復帰、

幼馴染たちが休んでた時分のノートを取ってくれてて

友達のありがたみを感じたのを覚えています。

 

周りを気にしすぎand地獄耳なので

色々聞こえてきますが気にしないふりをして

受験シーズンまで耐え、

幼馴染3人で偏差値65の高校に入りました。

 

高校に入って、弓道部に入り、弓取りや腕立て伏せは大変でしたが

なんとか持病をコントロールして頑張っていました。

 

高1ごろから、花粉、低気圧や台風が来る前、季節の変わり目、

ハウスダストに過敏に反応してしまい、また喘息が悪化。

大好きな部活を休み、早く家に帰るように生活していました。

僕の喘息は、乾燥を嫌っているようで秋頃冬頃は毎日辛くて、

春も春で花粉で辛かったです。

冬頃に、父と母が険悪になり、

そのストレスで倒れて病院に入院することになりました。

今まで生きてきた中で一番辛く、何度も失神を体験しました。

3日ほど寝れない日々が続き、ここから先は僕の記憶にないのですが

失神したと思ったらそのまま呼吸をしなくなったようで、

一度死にかけました。

 

走馬灯も見ず、目が覚めると息は少ししやすくなっていて、

家族が僕を見守っていました。

一度死にかけたからといって、特殊能力もゲットするわけでもなく

また、辛い日々に逆戻りして呼吸の辛さを痛感する日々でした。

 

その頃から、学校にはもう行けないと断念し、

両親が特別支援学校(病弱)への入学手続きを進めていました。

幼馴染2人には何も言わず、

僕は市外の特別支援学校に行くことになっていました。

親に色々してもらって、

その間僕は何もわからず持病と向き合っていました。

 

高校には時々行っていました。

単位をほぼ落としていて、留年が確実でしたが僕にはあまり関係なかったので、

体調的に行けそうな時は行っていました。

 

今年の冬頃両親の喧嘩が悪化し、離婚の話になりました。

僕の喘息はまた悪化しました。我ながら発作が単純すぎて呆れていました。

母親に無理やり市役所に連れて行かれ、

目の前で離婚届を書いている母の姿を見てさらに悪化。

家に帰り、喘息を理由に部屋に籠っていたが

「家族での話だから」と、母父僕(姉は1人暮らし)で家族会議勃発。

浮気だの、不倫だの、僕の目の前で口論してる姿を見て僕が気が遠くなりました。

僕は気にしないふりをしてずっと聞いていたところ、

親権の話になり、僕の病院の入院代や諸々

父がいないと無理なので父についていくことになりましたが、

父は拒みました(多分育てるのに自信がなかった)。

じゃあ、と母について行こうとしたら母も同じく拒みました。

母に入院代は流石に払えないと言われました。

仕方なく父が親権を持つ頃になりましたが、

父の親戚の本家の方に今は入院代を払って頂いています。

 

離婚云々でまた僕は喘息が悪化。

育った街を出て、本家のおじ様おば様の元へ行きました。

元々、特別支援学校に行くときは住まわせて頂く約束だったので、

快く受け入れてくださいました。

 

そんな感じで、今は喘息が悪化しているので入院していますが。特別支援学校に行っています。時々図書館にも行って暇な時に参考書で勉強したり、本を読んだりしています。携帯電話はありません。最近はおば様の携帯電話を時々借りています。

 

発作も最近は頻度が多く、僕自身呼吸をするのが疲れてきたところでした。

生きる気力もほぼ無いに等しかったですが、

最近僕は、高校1年の冬に付き合い始めた彼女が

僕が発作云々で全く連絡も取れていないのに、

ずっと待っててくれたことに感動しました。

彼女の存在は僕に強みをくれます。

ありがとう彼女。

頑張って今日も呼吸しています。

 

僕がブログを書き始めた経緯は、

なんとなく次、失神系の発作が起きたら

生きれる自信がないからです。

彼女を残して死ねない精神で頑張ってきましたが

三度目の正直、ではないですが三回目を耐えられるか自信がありません。

 

 

投稿頻度は不定期になると思いますが、

なんせ暇人なので日記のように綴っていきたいと思います。

 

追記

幼馴染2人は今頃元気だろうか。

携帯電話解約されて、手元にないし。

2人の携帯の電話番号知らないし。

「来年からは1個年下だな。」って言ってたS君。

ごめんな、俺無言で別の学校来ちゃった。

 

 

拙い文章ですみません。ここまで読んでいただきありがとうございます。

 

また、更新します✌️